チェルノブイリへの旅 【④ツアーのスタート編】 CHERNOBYL TOUR

26日でチェルノブイリ原発事故から30年(1986年4月26日)。

スペースシャトル チャレンジャー号が爆発したのも1986年。

今や酒豪に成り下がった私が純粋無垢な産声をあげたのも1986年。

…3大事故みたいに言っちゃった。

 

さて,チェルノブイリツアーについて。
ルートの全容は…

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こんな感じ。↑これは,参加証のようなもので,受付時にもらえる。

 

ちょこっと早起きして朝7時30分頃,キエフの中央駅から少し離れた集合場所に。
せいぜい5~6人くらいかな?
みんなウクライナ人だったらどうしよう??
ウクライナ語で”おはよう”ってなんだっけ???
なんて思いながら,キエフの朝のまちを歩いていくと,

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おっ?おぉっ?
おっきなバスいるし?人いっぱいいるし?まちがってないよね?
バスのフロント部分…

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このマーク。確かにこのバスで間違いない。
想像以上の盛況におどろく。
今回の1day tourの参加者は40名程度。
ガイドも英語,聞こえてくる参加者の会話も英語がほとんどで一安心。

 

バスの乗車口でパスポートチェックとツアー料金の支払い。
「ワォ,日本からか!楽しんでってねー!」的な軽いノリのスタッフに,おどろく。

何よりのおどろきは,タトゥーを入れた“チャラい”若者たちが,ボリボリお菓子を食べ,楽しそうに会話をしながら遠足気分で参加している姿。

意識高い系の人の集まりかと思いきや…
車内ではシーーンとガイドさんのお話を聞くのかと思いきや…
時にはハンカチで涙をぬぐったりするのかと思いきや…

ほとんどの人が遠足にでも行くかのようにキャッキャ楽しくしている。
途中休憩所では,さらにお菓子やらジュースやら買い込んでるし…。

 

…あ,じゃぁわたしも買っとく。

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…ということで,おどろきの連続でツアーの幕開け。

 

若い世代がチェルノブイリに興味を示し,ツアーへの参加も多いワケは後から知った。『S.T.A.L.K.E.R.』というチェルノブイリ原発を舞台としたゲーム( https://ja.wikipedia.org/wiki/S.T.A.L.K.E.R._SHADOW_OF_CHERNOBYL )が流行し,ゲームをきっかけに,実際に現場を見てみたいという若者が急増したらしい。

ちなみにストーカーというのは,事故後,いろんな動機からチェルノブイリに近づく人たちのこと。だから,今回,わたしも人生初のストーカー。

ゲームのせいでかなりの誤解も生まれてしまっているようで,賛否両論あるらしいけれども,どんなきっかけであれチェルノブイリという地や,原発について興味を持って近づき,学んでくれるのであればそれでいいという想いを持つ現地の人も多いという。

私としても,チャラい若者たちが楽しそうにしていることに初めはおどろいたものの,でもそれがとても"良いこと"のように感じた。


学びに来ました!と,"分厚いメガネ"をかけて現場を見て,盲目的に現場を捉えて帰るよりも,

悲惨だわ!ひどすぎるわっ!!と,感情むき出しで現場を見て,自分の感情をさらに高めるだけで帰るよりも,

自然体で,ちょっとしたきっかけ,ちょっとした興味で参加して,ひとつひとつ目にするごとに,ゆっくりと,じっくりと,自分なりに咀嚼していくことが,本当の学びなのかなぁって。

 

さてさて,道中,こんな注意書きを読まされる。

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危険区域内ではお酒とドラッグはダメとか,
外でごはん食べたりタバコ吸っちゃダメとか,
モノを持ち帰っちゃダメとか,
全身を保護するような服装にしてねとか。

いやいや,半そで半ズボンでスキンヘッドのおじさんおるやん。

 

そんなこんなで,バスに揺られること2時間程度で30キロ圏内に到着。

いよいよ危険区域内でのツアー開始。

長くなったので今回はここまでー。